〒106-0032 東京都港区六本木6-2-5 原ビル3F

診療時間 10:00~13:00/14:00~17:00   ※休診日 / 水曜・土曜・日祝日

港区 六本木 歯科口腔外科,人工歯根,新しいインプラント,口腔生体力学療法,バイオメカニクスなど。【西原研究所】

HOMEミトコンドリア博士のごあいさつ著書研修制度料金表・アクセス

HOME»  西原博士のブログ»  三木成夫形態学の学術展開 西原医学の樹立»  三木成夫形態学の学術展開と「顔と口腔の医学」研究所の西原医学の樹立Part.4 -Energy-Based Quantum Medicine の創始と重力進化学の創始-

三木成夫形態学の学術展開と「顔と口腔の医学」研究所の西原医学の樹立Part.4 -Energy-Based Quantum Medicine の創始と重力進化学の創始-

三木成夫形態学の学術展開と「顔と口腔の医学」研究所の西原医学の樹立Part.4 -Energy-Based Quantum Medicine の創始と重力進化学の創始-

 三、口腔科の医学
ストマトロジー 「顔と口腔の医学」の口腔科医師養成機関の構想

 
  
 三木が広い医学の世界で東京医科歯科大学の助教授についたことが三木形態学の大発展につながったことは疑いのないことである。この大学が他の医科大学とは大きく異なるのはどんな点であろうか?
ここでこの設立の歴史を詳しく知っておこう。
 
口腔科医科大学構想の挫折と東京医科歯科大学
ここで東京医科歯科大学医学部の助教授であった三木成夫の成し遂げた仕事についてを記す。学位論文は謎の器官といわれた脾臓という腸管造血器官の脊椎動物進化における変容の本態の解明であったが、その方法は完璧に個体発生と系統発生の深い相関性に見られる変容の法則性究明の手法であった。三木の学問が大きく花開いたのは、東京医科歯科大学という場が特にこの仕事に適していたためと思われるので、ここでこの大学の創設の経緯を簡略に記す。
ことのはじまりは、明治33年(1900年)に発足した東大医学部の歯科学教室の主任助教授として歯科口腔科に全く興味の持てなかった石原久という人物(外科教室の助手)をくじ引きで佐藤教授(外科)が決めてしまった事にはじまる。当然この教室は沈滞の極みに達したためにお雇い外国人教授の後継として日本人で最初に解剖学教授となった小金井良精(系統発生学と歯顎口腔脳=鰓器の形態学教授)が、消化器内科を専攻していた島峰徹をベルリン大学医学部歯科口腔科教室に派遣して日本の「顔と口腔の医学」の将来を彼に託したのだった。正規の助手となった島峰は、二次セメント質を発見したり、数々の業績を残したのであった。なかでもコッホのもとでスピロヘーターパリドゥムの純培養に米国在住の野口英世よりも先に成功したのが最大の業績であったが、第一次世界大戦で国際雑誌に発表出来なかった事が彼の生涯の痛恨事となった。ヨーロッパのフォーシャールの流れをくむ医師になってから歯科医学を2年間習得する、フランス、イタリア、オーストリア、スペイン、東欧の医者の中の医者、口腔科医とドイツで行われていたアメリカ型の歯科口腔科医学の二つの教育制度の長所と欠点を彼はつぶさに観察して深く考察した結果、当時も今も世界中に存在しない医師免許証による口腔科医を養成する旧制の口腔科の医科大学の創設に万難を排して取り組んだのであった。これが関東大震災と今次の太平洋戦争という二つの国難で挫折して今日に至っているのである。
 
島峰徹の「顔と口腔の医学」
脳を含む「顔と歯・顎・口腔の医学」は、超多細胞動物の統一個体としての統御システムである脳下垂体(前葉がラトゥケ嚢=口の粘膜、後葉が後脳に由来)すなわち脳脊髄神経系、と内臓系、体壁系という身体をつくるすべての細胞系(脳も内臓も含む)という二大生命システムの仲を、血液・リンパ液のメディウムを巡る液性の情報蛋白質を介して取り持つ「命の要のシステム」である。それ故、この新構想でできた口腔科医は結局は医者の中の医者となるはずのものであった。この口腔科医科大学構想のカリキュラムは今も残っているので(長尾優著「一筋の歯学への道普請」-医歯薬出版)、著書はこれに規って医学科の全科を学生時代に自習し、東大の大学院時代には基礎医学、臨床医学のセミナーや実習を通して殆ど全科の標準手技を体験して来たのである。それで今日免疫病から精神神経疾患・悪性腫瘍までを扱う医者の中の医者口腔科医を著者自ら自称しているのである。しかし、医師法・歯科医師法があるので慎重を期するために西研では必ず医師を雇用してともに生活習慣指導という環境エネルギーの制御を中心として実地診療を実践している。
島峰は関東大震災で口腔科医科大学構想を縮小し、とりあえず専門学校として東京高等歯科医学校を設立した。その後は、今次大戦中に軍医不足から軍の要請に従って医学専門学校を加えて東京医学歯学専門学校と改称した。終戦の年の昭和20年の2月に島峰は逝去されたので、後を継いだ長尾優が、敗戦後は進駐軍のリジレー中佐の指導で新制大学に改めた。リジレーは医学専門学校はボロボロの木造二階建てで無きに等しいから、とうてい新制の大学に改めるのは無理だ。これをつぶして歯科医学科だけにして、元々この学校の母体である東大医学部に統合するよう強力に指導したが、ガンとしてこれをはねのけたのが長尾であった。このために歯科医学が矮小のものになったのだ。この時に島峰が生きていれば、万難を排して出来そこないの医学科をつぶして医師免許証のもとに歯を含めた口腔科治療を行う口腔科医科大学を作るために高等歯科医学校を改組し東大医科と合体し、東大医科の一ランク上の医者の中の医者、口腔科医科大学を世界にさきがけて創設したことは間違いない。ここで注目したいのは、今日存在する東京医科歯科大学は医師免許による医者の中の医者を養成する「口腔科医科大学」構想の中途挫折した姿であると言う事と、島峰徹にこの構想を託した小金井良精が三木成夫の大先輩で脳と顔・歯と顎口腔・鰓腸の内臓頭蓋の系統発生学を専ら研究した日本人で最初に教授となった解剖学者であったという事である。それ迄はすべてドイツのお雇い教授であった。系統発生学と生命発生原則を創始したヘッケルは、この生命反復学説の造語としてRecapitulation Theoryをあてたのであるが、Caputが頭を示す語であるからこれは頭部の反復説という事である。それで欧州の医学は、たとえドイツの歯科がアメリカ式であっても、歯学ではなくて医者の中の医者としてのMund Und Zahnarzt口腔科医であったのだ。ちなみにイタリーではEUに統合された今でも、歯科口腔科医はメディコヒルルゴ(外科医)の称号を持つが、EU所属の国は今はすべてアメリカ型のD.D.Sに近い免許に統一されたという。

2014-06-02 10:25:00

三木成夫形態学の学術展開 西原医学の樹立