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三木成夫形態学の学術展開と「顔と口腔の医学」研究所の西原医学の樹立Part.19

三木成夫形態学の学術展開と「顔と口腔の医学」研究所の西原医学の樹立Part.19

どうして西洋医学が壊れたかを検証する
著者が1966年から東大病院の口腔外科教室で研究と診療を2001年迄ちょうど35年間続けた後にリタイアした年に日本免疫病治療研究会を立ち上げ、同時にこの実践の場として東京六本木のヒルズの間近に「顔と口腔の医学」西原研究所を設立した。
十二支が一廻りした12年前のことである。その頃は昔殆ど無かったアレルギー疾患がまっさかりであった。ことに赤ちゃんでは、アトピー皮膚疾患や小児の喘息、川崎病や小児リウマチ、発達遅延等次々に障害が連続して発症するため、アレルギーマーチとも呼ばれていた頃のことだ。アレルギー科は大人も子供も大いに繁盛していた。著者はすでに今から20年程前から、アレルギー病と呼ばれる難治性の病気の大半が口呼吸と冷飲食を好む嗜好と寝不足(骨休め不足)の三つ揃いで起こる日和見感染症である事をつき突めていた。これは、自分の口や鼻腔、喉や胃腸、泌尿器等に常時巣食っている殆ど無害の常在性の微生物(細菌とウイルス)が白血球に取り込まれると、これが顆粒球となって血中を巡り、体調の日和を見て体の様々な部位に運ばれ播種(ばらまかれ)され、その部位の組織や器官をつくっている細胞群に細胞内感染症を発症する病気である。これら三つ揃いの生活習慣の誤りという不適当な生体力学のエネルギーによって体の中を巡る血液の中の白血球内に細菌が抱えられて病気になるのだ。これは実はやはりアレルギーではないのだが、40年前から常在菌の感染症という考えが無くなり、原因不明のアレルギーとの考え方がはやり出したのだ。アトピー皮膚炎を驚くほど高額な料金でローンを組んで長期間にわたる治療を行うというエステサロンもこの頃はなざかりだった。リタイアする5年前頃から口呼吸と冷酒と寝不足を止めると、難治性疾患の喘息、アトピー皮炎、難治性気管支炎、リューマチ、膠原病、腎炎や赤ちゃんや幼児のアトピー皮炎や湿疹が実によく治るのでせっせと治しては本に書いていた。リタイアの時には一度に8冊の本を出した。診療所をはじめた頃には、アトピー皮炎を治すエステサロンを全国的に展開していた経営者が著者に顧問となって一緒に講演しようとの依頼があり、良く治っている赤ちゃんから大人までもの写真を見せられた。写真では良く治っていたので引き受けた。一緒に講演してみてびっくりした。著者が、離乳食アトピーの1才の子を3、4日で完治させた症例を示し、その治療法と完治したわけを解説した。口呼吸にともなう早すぎる離乳食で腸内細菌が大人型になり、それが授乳期間中(3才迄)は自在に血中に吸収されて赤ちゃんの重症じんましんが出るが、これをアトピーっ子と呼んでいるから、離乳食を一切止めて40℃前後の乳児用ミルクにして哺乳瓶で与え、同時に四六時中おしゃぶりを与えて吸啜と鼻呼吸を鍛えるのだ。さすれば、腸内は大腸菌からビヒズス菌に変わり、2-3日でアトピーは完治するのだ。これを見たエステの人達は、ぎゃふんとなった。それもそのはず、彼等は自分の真っ赤っ赤になった赤ちゃんを、高額な飲料用のサプリを毎日沢山肌に塗ってマッサージして「1~2年間でこんなにきれいになりました」と言って示したのだ。大人のアトピーも、口呼吸・冷中毒・寝不足の複合で腸内の微生物が血中に入って血液がくさっておこる、治るいとまがないじんましんだとして短期的に治った完治症例を多数示したところ、以後二度と合同の講演は無くなり、顧問も知らない間に解消となった。しばらくして、全国展開していたこのエステサロンの話は聞くことも無くなった。アトピー皮炎が本当にただの腸内(口も喉も膣も腸管の一部)微生物(細菌・原虫・ウイルス)による事を明示したために、いつの間にかこの手のでたらめなアトピー治療もどきのエステサロンも無くなったのだ。ついでにダニや羽毛が喘息の原因とするアレルゲン騒動も東京ではおさまった。これらがすべてバイ菌かウイルスだと言う著者の主張は、都会ではかなり幅をきかせているが、地方に講演に行くと、子育ての誤りからアトピーをはじめとする難病の原因は20年前と同じほどに遅れているのには驚かされる。東京で20年も言い続けると少しは変わるのだと今日実感している。
一体どうして現代医学で難治性疾患の多くの原因が原因不明のアレルギーと考えられるようになったのか?医学の歴史を振り返ってみよう。
西欧も日本もバスツールやコッホ、北里があらわれる近代までは、伝染病におびえていた。細菌学とともに抗血清療法も完成し、多くの伝染病が克服されたが、結核や梅毒、外科的感染症と呼ばれる殆ど無害の腸内細菌や雑菌の感染や多くの濾過性病原体(ウイルス)の感染には、明らかな抗血清(抗体)が出来ないために人類は幾多の感染症に悩まされてきた。フレミングによりペニシリンが発見され前述の多くの感染症がめざましく克服されたのが昭和40年(1965年)頃だ。この頃からわが国では病気の様相が変化して来た。昭和20年代に多発していた結核に代って、30年代にはサルコイドーシスが増加した。昭和30年代後半から高度経済生長期の40年代には、働きすぎで不顕性の感染(風邪のこじれた症状や慢性疲労症状)による体の不調症が多発し、口にはしばしば腫瘤の出来る組織球症(ヒスティオサイトーシスX)が発症した。これ迄の細胞病理像にないこれらの疾患に、かけ出しの著者は一体何が起きているのかといぶかったことを思い出す。これらの疾患はすべて何らかの感染症(寄生虫や非病原生の雑菌とウイルスを含む)と考えられたので、大人の場合には日和見感染症(体調の日和を見て口、喉や腸内の常在菌が血液を巡る)、小児の場合には自家中毒症(自分の腸内の殆ど無害の微生物が血液を巡って感染する)と呼ばれたものだ。昭和41年に東大病院の歯科口腔外科で研究と治療三昧の生活をスタートした著者は、西洋医学の変節の過程を実に克明に覚えている。この頃は寝不足、過食、酒の過飲で軽症の膠原病、リューマチ、喘息、SLE、筋無力症、発熱等で内科を受診し、感染源が口腔内のむし歯や喉や歯肉に無いかとの問い合わせが頻繁にあった。当時一般医科では、これらは全て微生物の不顕性の感染によるとされ、その感染源の身体部位が口腔か泌尿生殖器に限局している事を常識としていた。口腔科の外来診療で初診を担当した頃には、これらの患者全ての症例で皆等しく日常生活の行動様式が、「口呼吸」と「過労の骨休め不足」と「冷中毒(冷ビールやアイスクリーム)」の常習者であった。これを改めさせると、両頬に蝶の羽の形に発赤斑のある全身性紅斑(SLE)もあっ気なく治ることに気付いた。この前後に東大医学部からインターン制度廃止のための大学紛争が勃発した。そして3年間程医学部は何もかもはちゃめちゃになった。この間に日本のみならず世界の文明国の西洋医学のすべてが変わって、駄目になってしまったのだ。
 
 

2015-11-02 17:40:49

三木成夫形態学の学術展開 西原医学の樹立