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正統免疫学への復帰 Part.5

正統免疫学への復帰 Part.5

正統免疫学への復帰 Part.5
破綻した「自己・非自己の免疫学(Pseudoscience)」を正す

わが国伝統の口中医と口腔科医とアメリカ流の歯科
 明治以前のわが国と中国には口中医が存在し、ヨーロッパも外科医に属する口腔科医が医者の中の医者として位置づけられているから、当然一般医科でもこの「脳下垂体-顎・口腔・咀嚼による細胞呼吸統御システム」すなわち「顔と口腔の医学」の最重要性は肌で感じていて重要視されている。日本ではアメリカ型歯科が口中医を無視してエリオットによって民間主導で導入されたが、これはペリーによりヨーロッパに先んじて日本攻略をはじめた米国が、南北戦争で動きがとれず英仏に後れをとったための苦肉の策であった。最初の医師免許国家試験の4号で歯科医師となった小幡英之助は、元来外科医となるはずであったので、わが国の伝統の口中医の制度の医師としてエリオットの歯科技術を身につけたうえで口中医となるべきであったのだ。エリオットは、南北戦当時外科と内科の軍医であったが、極東を医学で制覇する目的で、わざわざペンシルバニア大学歯科医学校へ行って卒業し、歯科の技術を身につけて日本に渡来し、我が国では小幡たった一人を弟子として「歯科」で受験させることで、その後のわが国の医療制度をアメリカ型歯科に変えることに成功したのであった。英之助は、時の慶応義塾長小幡徳次郎の甥であった。福沢諭吉も徳次郎も彼が歯科医となることには反対したという。「天は人の下に人をつくらず」と言った諭吉がアメリカで見た歯科医を「士分のする仕事ではない」と言って猛反対したのである。口中医は、日本でもすでに医者の中の医者であったので、緒方洪庵の適々塾出身の福沢も外科医として口中医歯科をやることには賛成したはずである。今日のイタリーでもこの領域の医者の称号はメディコ・ヒルルゴ(外科医)スペシャリスタ イン オドントストマトロジアであるからまさに日本の昔と同じ口中医である。エリオットはその後すぐに上海に渡り、中国に歯科技術を植えつけて英国に移り、最後はそこで王立医科大学の歯科の教授となった。当時米国でヨーロッパより医術ですぐれていたのは、くさった歯の処置法と入れ歯の作り方のギルドの教程をdentistryの学校としてヨーロッパより早くスタートさせた歯科だけだったのである。ヨーロッパの口腔科はstomatologyとして眼科・耳鼻科と同じ医学の体系の一つであるが、dentistryは、alchemy錬金術からchemistryが出来たごとくdenture義歯からdentistry義歯術、むし歯処置術がギルドの学校として体系づけられたものである。たとえて言えば、今日の「自動車学校」のようなものなのだ。
 

2017-02-23 18:35:35

正統免疫学への復帰